歴史

日本一の
たけのこ名産地に
生まれた
小川吉太郎の使命

たけのこ農家への想い、
長岡京で過ごす幼少期

創業者小川吉太郎は1900年、京たけのこの名産地長岡京奥海印寺に生まれました。
村の人々の殆どが、たけのこ農家で「今年の出来は良い」とか「例年より早いな」とかたけのこの話ばかりしているのを幼少より聞き、たけのこ畑を持っていない貧乏な家の吉太郎は自分もたけのこに関わる仕事がしたいと考えるようになりました。

豊作貧乏にはしない…
缶詰づくりからのスタート

吉太郎は将来の為に魚屋や八百屋など他種にわたる業種を経験し、商売のノウハウと知識を吸収していきました。
そんな折、「今年は大豊作やし、値が安なってしもてかなわんわ!ぎょうさん出すぎてしもて、もう売れへんし、豊作貧乏やぁ!」と農家さんが愚痴られているのを聞き、「なんで豊作なのに貧乏になんねん!それやったら保存の効く缶詰にして年中食べられるようにしたら、農家さんに喜んでもらえるのとちがうかなあ」そんな気持ちで缶詰作りをスタートしたと聞いております。

初代の意志を継ぎ、
2代目事業の発展

一年中世話をした丹精込めたたけのこが、安くしか買って貰えなければ一年間の苦労、努力が無駄になってしまいます。
少しでも農家さんのお手伝いが出来たら、と2代目賢二も自らを「たけのこ屋のおっさん」と呼び、初代の意志を継ぎ事業を発展させました。
その頃には自社のたけのこ畑も持てるようになり、この土地独特の伝統栽培法を習得したと聞いております。
地中から掘り上げたたけのこをすぐさま工場に入荷し、皮つきのまま即座に茹で上げる。この製造工程は今現在も受け継がれています。

もう一つの事業・食用油抽出業と戦争との歩み

それからもう一つの事業として食用油抽出業を営むようになりました。最初は菜種油を製造する工場を作りました。
そうしている内に戦争が始まり、油の抽出工場は戦闘機燃料用の松根油を絞る事となりましたが、「松の根っこの油まで絞らなあかんとは日本ももうあかんなと思った」と賢二は晩年、話をしてくれました。戦争中、賢二にも出征命令が出て、戦場へも向かいましたが、無事帰還し、家業に精を出す日々が戻りました。
その後、油製造業は米糠から油を抽出する米糠油抽出業を営む事となりました。この事業は今も継続しております。

日本一の品質を誇る
京たけのこ特産地へ

昭和40年代になると団塊世代がたけのこの掘り手になられて50年には生産量も多くなり、活気があふれ、京都西山丘陵はきれいに整備されたたけのこ畑が広がり、日本一の品質と自他ともに認める京たけのこの特産地となっていきました。

それまでは収穫期にたけのこの水煮一斗缶を製造したら食品問屋さんに全量買って頂くシステムでしたが、自社で割烹や料亭等への販売を始め、また一般顧客様向けに丸缶のたけのこ水煮やたけのこの佃煮なども製造販売するようになりました。

自社で販売をするようになるとお客様に「京たけのこは美味しい」と喜んで頂いている声を直接頂く事が多くなり「こんなにも喜んで頂けるならもっと頑張ろう!」とたけのこ製品作りの熱意・気持ちが強くなり、地元農家さんのこだわり・努力に前にもまして感謝するようになりました。

止まることのない
美味しさへの追求

3代目が拓く、
食品製造技術と販路拡大

3代目修司は大学で食品製造技術を学び、「この京都西山丘陵で育てられている美味しい日本一のたけのこを日本中の皆様に知って頂きたい」と販路を拡大致しました。
それまでは関西圏内で販売させて頂いておりましたが、他の地域では市場出荷がされていなかった為、「京たけのこ」を知らない方が沢山いらっしゃる事を知りました
もともと、たけのこは鮮度がとても大切な野菜です。地元では昔から「湯を沸かしてから掘りに行け」と云われています。

柔らかくて美味しい京たけのこの味をどうにかして関東など遠いお客様へお届けできないか?食べて頂ければ、その違いはきっとご理解頂けるはずだと修司は研究に研究を重ねました。
今までの缶詰は美味しくて素晴らしい保存食品ではありますが、製造工程の中でpHを4.5に下げる工程(弊社では乳酸発酵で酸っぱくする)があり、生のたけのこより若干酸っぱくなってしまいます。それではpHを下げないで保存する方法は無いかと研究し高温殺菌製法を開発致しました。

シャキシャキ感にこだわった
冷凍製法

ドイツ製のレトルト高温殺菌機を設置し、試作を重ねました。

最初の内は温度の調節がうまくいかず、せっかくの掘りたて湯がきたての色白のたけのこ(土の中から掘り上げるので皮も白い)が高温の為に赤く変色したり、トウモロコシのように香ばしくなってしまい…と試行錯誤の繰り返しでしたが、遂に「京の春新鮮パック」を完成する事ができました。

「京の春新鮮パック」は香りも良く、酸味も無く味も最高に仕上がりました。ただ難を云うと高温の熱の為、肉質が若干柔らかくなり、掘りたて茹でたての食感(シャキシャキ感)が若干少ない感じがします。
そこで旬のたけのこの美味しさそのままをどうにか1年中保たせることが出来ないかと次に冷凍製法にチャレンジ致しました。

元々、たけのこは水分を沢山含んでいる為、そのまま冷凍するとスポンジの様な食感になってしまい美味しくありません。そこで特殊な冷凍装置を高額でありましたが思い切って導入致しました。
それからも納得のいくものが出来上がるまで研究に研究を重ね、やっと念願の掘りたて湯がきたての旬の時期の食感に一番近い「冷凍京たけのこ水煮」が完成致しました。

冷凍製品の為、保管や流通方法が難しく、まだまだ軌道には乗っておりませんが、販路を拡大すべく尽力している所でございます。

「いつでも美味しい
京たけのこ」をモットーに

「日本唯一のたけのこの高温殺菌」
「日本唯一のたけのこの特殊冷凍」

なぜ他社が取り組まない製品作りを頑張るのか…

やはりこの地「京都西山丘陵」そして長岡京が日本一のたけのこの特産地であり、日本唯一の手間暇の掛かる伝統栽培法を悠久の昔からずっと続けてきた生産者の拘り・思い、そして先代の熱い気持ちを継承する事が小川食品の使命ととらえているからでございます。

これからも「いつでも美味しい京たけのこを全国へ」をモットーにこれからも永久に京たけのこ製品を作り続けて行きたいと強く思っております。

伝統栽培を未来に
継承するために

歴史と伝統への
理解を広めるために

地元の京たけのこの歴史・伝統を絶やさぬ為に
京たけのこをたくさんの方々へ知って頂く為に…

小川食品工業㈱はこれまでも展示会物産展イベントにも積極的に参加し、
たけのこ畑の写真をパネルにして京都の特別な栽培方式(京都式軟化栽培方式)を目で見て理解していただける様に努めてまいりました。

生産農家さんと
小川食品工業との絆

そして地元たけのこ農家の有志と「京たけのこ伝統栽培を守る会」を立ち上げ、メディアに取り上げて頂くべく、地道な活動を続けています。

「京たけのこ伝統栽培を守る会」を通して「たけのこ」をご注文いただいたお客様へは農家さんの顔、農家さんの圃場、一年を通じてどの様に世話をし、いつ掘り上げたか等を見える化して、責任を持って極上の商品を出荷する一方、お品代を若干高くさせて頂く事で、お買い上げ下さるお客様にも、手入れの行き届いた美しいたけのこ畑(竹林)を守るために少し御協力頂いております。

農家さんと小川食品工業は一心同体です。農家さんが手入れをやめてしまえば、京都産のたけのこと云っても京都で採れただけの値打ちのないたけのこに成り下がってしまいます。

農家さんの手間暇が
この地域の拘りで
日本一たる所以です。

しかしながら、農家さんは後継者問題も含めて、ちゃんとした収入が無ければ続けていく事ができません。

たけのこの栽培は経験も重ねなければできませんし、体力もいる作業でもありますので年々農家さんが減少しているのが大きな問題となっております。

これらの難しい問題を解決する為にも、地元のたけのこを安定した価格で弊社が購入させて頂き、農家さんに僅かでも貢献する事で5年10年と続けて頂けたらと願っております。

生産農家さんに
喜んでいただくために…!

以前は、たけのこの販売は個々の農家さんが出荷先のお店やお客様へ農家さん自身で行うことが殆どでした。

弊社が農家さんからたけのこを購入させて頂くことにより、農家さんの販売先の選択肢が増え、競争の原理が働き、たけのこの価格が上がり、農家さんの収入があがり、そうすることによって農家さんの生産意欲が高まってくれればと思っています。

弊社は常に京たけのこの伝統を絶やさぬ為に、生産農家さんがどうやったらこれからもたけのこ栽培を続けて頂けるかを考え続けています。

農家さんが「来年もまた良いたけのこを出荷するために毎日手入れするぞ」と元気になっていただけたらと願っております。

地域の活性、
これからの未来…

弊社は加工業者ではありますが、自社でたけのこ畑の管理も致しております。

自社農園も当然のことながら伝統栽培法を守り、一年中世話をし続けております。

弊社はたけのこ加工業者でもあり、生産者でもあるのです。

地元の農家さんと同じ目線で見て考え、活動をさせて頂いておりますので、農家の方々の御要望もダイレクトに入ってまいります。

すぐに解決できる問題ばかりではありませんが、少しでも地域の活性、西山丘陵の美しいたけのこ畑の風景が続く事を祈りながら、日々活動を続けております。